3月下旬シミワタリをして、大峰山に登る。また桜平にマンサクの花を探しに雪上を歩き、萱峠のブナ林まで足をのばす。
4月になれば雪が融けたところから、芽を出すホーキント、アツキナを採り、カタクリをあちこちで見つけて喜び、山を歩く。
5月上旬は山菜づくしです。ウド、コゴメ、ワラビを採って、春の味を満喫する。 年間を通じこの時期の竹之高地が最もにぎわう。昔懐かしい人に出会って、山を見て、山菜を採って、それぞれがふるさとへの思いを楽しんでいるようです。
ほーきんと通信は山に行った時のことを書いていますので、不定期に発行しています。
ほーきんと通信
ほーきんと通信 №30
2017/01/31 №30-2017 謹賀新年
新年の不動様 平成29年1月1日
元旦の不動様の風景です。
今年も初日の出を拝むことができました。震災以後、1月1日の竹之高地で午前中に一瞬ですが初日を見て拝んでいます。今年も不動様がこのお日様を見せてくれたと感謝し1年の安全祈願をします。更に今年はこの日の午前中から修験者の2人が訪れ、参拝者のお祓いをしてくださいました。ここに集まる皆様が良き年となりますように。
ほーきんと通信 №29
2016/12/31 №29-2016-年の瀬
年の瀬の雪
先日(12/18)に65cmの積雪を観測したがクリスマスまでにはすっかり融けました。年の瀬を迎えてまた少し雪が積りました。竹之高地で年末の今朝の積雪は35cmでした。木の枝に雪が付き、時折見える青空に白く映えていました。冬の竹之高地ではなかなか青空を見ることができません。子供の頃から曇天の暗い空から雪が降るいやなイメージが強い。この通信に載せる写真には青空のある風景を撮りたいと心がけていますが・・・。
ほーきんと通信 №28
2016/06/01 №28-2016-動物号
竹之高地で見つけた鳥たち
昔の写真から掲載
今年の春は小雪のためか忙しく過ぎてしまったようで、雪解けからなかなか山歩きができませんでした。今回は竹之高地にいるいろいろな動物の中から鳥に絞って紹介します。
2000年頃から撮り溜めた中から鳥の写真を集めてみました。動物の写真はなかなかうまく撮れません。ピンボケばかりです。なんとか見れるものを掲載します。種類・名前が間違っているのもあると思いますがご容赦願います。
ほーきんと通信 №27
2016/05/01 №27-2016-山ウド
やまうど(ウコギ科タラノキ属 多年草)
『ウド』は山の雪解けとともに春を告げる竹之高地の代表的な山菜です。天然物は春先の南向き急斜面の雪消えの早いところから出初めます。先人が移植したのか、割と平らなところにも生えています。竹之高地では畑に種を播き2-3年後から収穫ができるのであちこちで栽培しています。この栽培ものは天然モノと味はほとんど変わりません。収穫時期をずらせるので、長期間若く新鮮なウドを楽しめます。
夏になると背丈が2m以上にも成長するので「ウドの大木」と言って、あまり良くないたとえに使われます。しかしこのウドを使った料理は実にバラエティに富み、人によって千差万別です。
山で育った子どもならウドの料理が「おふくろの味」になるかも知れない。
雪崩れや崖崩れがあった場所に生えるウドが最高である。ふかふかの崩れた土にウドの根が深く入って、手で土を掻き出すとスラリと伸びた真っ白いウドの幹(茎)が恥ずかしそうに白日のもとに晒され出てきます。これを鎌で根元からザクリと切り取ります。
ほーきんと通信 №26
2016/4/10 №26-2016-山あるき
横枕から五箇山に登り、おにぎりを食べて、途中『桜ロード』で満開の桜に見入り(右の写真は桜ロードの満開のソメイヨシノ)、春山の花を見て感動し、鳥、蝶を追いかけて、竹之高地不動社まで歩いてきた。距離は10km程、4時間弱の行程でした。
山道はいたるところに雪が残っており、車が通行できるのはもう少し先のようです。
雪がほとんどなくなったこの時期の山は歩きやすい、まだちょっと寒いくらいなので汗をかかない、毛虫がほとんどいない、ブヨ等の虫もいない、ヘビもまだ顔を出さない、雪があるので狭い山道で車が来ない、なんといっても早春の花が見れて、山菜が少量であるがいろいろなものが採れる。少ないといっても我が家の6人家族で食べても余るくらいの量は十分に採れる。
ただし、竹之高地で山菜の取れる量は年々減少しています。来年のために一株あたり3~5割を残さなければいけないのに・・・根こそぎ取られています。山菜は野菜と違い多年草です。一度なくなれば収穫できるようになるまで5年以上かかります。
竹之高地で生まれ育った人たちが久しぶりに古里に帰ってきて、一番の楽しみは春の山菜採りだと思います。またここで現在も活動している我々も雪融けのあとの山菜採りは待ちわびた楽しみなのです。
近隣の部落と同様に「山菜取り禁止」等の処置をしなければならないのかと皆で話し合っています。