錦鯉を育てる
竹之高地は山を開墾して田を作り米を主食にしてきた。昭和30年代には太田地区で竹之高地の米の出荷量が一番多かった。しかし、人口の増加とともに米だけでは養いきれず、若者が都会に出て行ってしまった。昭和30年代後半になると、田を錦鯉の池にして、生計を立てる人が増えた。一時期はどこの家でも錦鯉を飼っていた。竹之高地に自動車が入る道路ができると一気に都会へ一家で引越し、家並みも半減し、同時に田畑も耕作放棄地となった。震災を期に住民1人となってしまった。現在はその子供(70才前後の老人だが)が細々と昔を夢見て錦鯉を育てている。趣味・道楽で売上は餌代にもならないが楽しんでいる。
農道の除雪と道普請
雪の多い竹之高地では山の田畑に行くために農道の除雪を4月中旬に行い、5月初旬に田畑が春耕できるようにします。4月中旬の農道は積雪が1m以上あり、急斜面の場所では5mも雪が残っています。業者にお願いして重機で排雪します。昭和40年代に山の斜面を削って作った農道は狭く、片側は崖が続き、毎年来てくれる重機の運転手も怖がり、ゆっくりと排雪作業を行います。路面まで除雪すると時間がかかり費用も増大するので雪を50cm程残して先に進みます。排雪して2週間ほどで車が通れるようになる。農道の除雪範囲は現在使われている田畑・養鯉池があるところまでで、その他の農道は多くの雪が残り山を一周できるのは5月中旬以降になる。 6月と8月に「道普請」を行う。排雪作業と同様に耕作地が存在する場所まで農道脇の草刈を行う。4方向に分かれて草刈をし、狭い農道の端が見えるようにする。山一周の農道は除草剤を散布して草の勢いを減少させて何とか軽自動車が通れるようにしている。年々参加する人達が年齢を重ね、毎年1人2人と減少し昨年の参加者は20人程でした。農道は路面・側溝を整備する費用も無く、砂利道の路面は雨で流され凸凹している。又、車がすれ違う場所も少ないので十分注意して通行してください。
追記
今年も昨年同様な行事を計画しております。竹之高地で農作物を栽培する人、錦鯉を飼う人、不動様に参拝に来る人、それぞれが竹之高地で行事に参加して、遊び楽しんでください。
