竹之高地町の中心的存在です。
家内安全、交通安全などにご利益のある不動様です。
また、不動様には次のような言い伝えもあります。
「昔三条の名高い刀鍛冶 ”三条小鍛冶宗近”が火花で片目がやられた。困っていると夢で『山深いところの滝で祈願すれば治る』とお告げがあった。 竹之高地にて夢とぴったりの滝に出会い、祈ると、 不動様の霊験で目が治った」
そのため眼の病に良いと言われています。
不動社の由来(不動社内の看板から引用)
竹之高地不動社の開祖は弘法大師とされている。
弘仁年間、大師は本山建立の地を探して全国を行脚した。その時この地にも足跡を残している。 長岡の東山山系の中で、柿から奥の山 は「三谷たらず」と呼ばれ古来、霊山と されていた。大師は難破峠(南蛮峠)を経て、多岐之河内(竹之高地)と呼ばれるこの谷を下り、途中この滝に行く手を阻まれた。眼下数十丈 を落ちる荘厳な滝の姿に心を打たれた大師は、不動明の石像を 刻み、滝のほとりに安置した。
それから約七百年後、無人のこの地に初めて集落を作った原美濃守(落武者)は、集落の鎮守様としてこの不動明王を祀り祠を建てた。美濃守の守護神も不動明王であった。その後、社殿は数回建て替えられ、現在の社殿は中越大震災の後、平成十八年に建立されたものである。
本尊大日大聖不動明王はその限りない力をもって人々のあらゆる苦難を打ち払い、心身の病を癒し、真実を見究める眼力を授けると伝えられ、多くの崇敬者を集めている。
平成二十年八月 竹之高地不動社
新潟県中越大震災の影響
旧不動社は新潟県中越大震災により甚大な被害を受けました。そのため、2006年に現在の場所に移されました。
現在の社殿は鉄筋コンクリートでとても頑丈に作られています。
旧不動社(2002年7月22日撮影)