2018-01-28
竹之高地で生まれ育った私はこの季節はあまり良い思い出がない。でもこの雪があるからこそ雪解けの春の楽しみがある。
11月になると季節風により雨風が強くなる。気温も下がり雨が冷たくなってくる、11月中旬を過ぎる頃からみぞれとなってくる。一番嫌いな季節である。小さな頃は竹之高地で生活をしていたので、いつもコヤムラの山から町の喧騒が聴こえて空が暗くなってくると天気が崩れてくると感じていた。学校を卒業して長岡の平場で働くようになり、長岡から五箇山・鋸山を見ると長岡は曇りでも山には霧がかかりどんよりとした雲が掛かっている。
12月になれば雪になる。外での仕事はみぞれよりは雪の方がやりやすい。年末までには屋根の雪堀を2回くらいはやっていたようである。40年くらい前の年末に屋根雪を2m以上積もらせてしまい、普段半日で済む雪下ろしを1日かけてやった。近年は竹之高地での積雪は2mを超える程度であるが、昭和40年代までは毎年4mの積雪があったように思える。ここに移り住んだ先祖は、四方を山に囲われて外界から隠れて住むには最適な所であったのだろうか。
話はそれるがこの長岡地区は冬のあいだ魚沼、新潟より雲が掛かっている時が多い、弥彦山と柏崎の米山の間で雲がかかり、長岡より北側の新潟方面の空は明るく雲が切れてなく晴れている、また南側の小千谷・魚沼方面も晴れて、お日様に当たって雪山がよく見える。なぜこの長岡だけ雲がかかりやすいのか・・・?
1月はシンシンと静かに雪は積もる。小さい頃はオヤジが出稼ぎでいないため、朝の玄関前の雪のけから隣の家までの道付けは私の仕事であった。一晩に1mの雪が降るのは珍しくはなかった。玄関の引き戸を開けると自分の背丈に近いほどの雪が積もっていた。これをのけて道付けしないと小学校に行けないのである。朝飯前にコシキでホラゲの雪ホリを頑張った記憶がある。電柱も埋まり配電線をまたいで学校にいったことも記憶にある。電力事情が悪くあちこちで切れて停電となると1週間も電気がない時代もあった。家の窓が塞がっているので1日中暗く、年取った婆さんが火たきをする囲炉裏の火が明るく暖かく感じた。正月の餅を焼いたり、酒の骨を炙って食べさせてもらった。
2月になると風が強くなり、ふきだまりとなり、せっかく開けた玄関先は脇の雪より低いので、雪が溜まる。茅葺きの屋根の雪掘りは平屋根の半分の回数で良いが、3回も下ろせば家の周りは二階の屋根と同じ高さまでの雪の量となり、2階から出入りした経験もあ。
3月になれば雪は降っても20-30cmで少なく、暖かく晴れる日が多くなって、雪の白さに映える青空が広がり、春がすぐそこに来ていると感じられて、自然とウキウキしてくる。いっときも早く春を感じたいので家の周りの雪のけをして「おにゃ」の土を出したいと雪堀を頑張る。学芸会、雪上運動会、卒業式といろんな行事が思い出されます。
4月になれば雪解けが進み不動滝は茶白濁した水が大きく溢れ轟音とともに落ちていきます。山には5月のはじめまでは沢の奥の田んぼにはまだ雪が残っていた。また、雪解けは人々の一番の楽しみである春の恵である大好きな春の山菜たちが芽を出します。雪が少ない年は作物の生育が悪く、山菜も一味足りないような気がします。雪が多く降るから人は雪解けが待ち遠しく、山菜も苦味を増して美味しくなるのだろう。