管理人の山歩き

サイト管理人のブログです。

 見慣れた山野草、飛び交う虫、時には目の前に突然現れる動物たちが迎えてくれる。ふるさと竹之高地が好きで、還暦になっても山歩きをしています。特に春山を好んで歩いています。
 その昔、この地でも雪割り草が咲いていたと聞き、早春の山歩きを始めました。いまだにこの地で見たことのない雪割草を求めて春山を歩いています。
 また、この山歩きで見つけた季節の移り変わりを新聞として発行しています。名づけて「ほーきんと通信」です。ご覧になりたい方は右のボタンをクリック!

2023 山歩き かんじきウォーク3

写真№1 マンサクのつぼみ

2023-03-01 積雪220cm 大峰山に登る

写真№2 ネコヤナギの花(?)

 いよいよ春だ。朝暗いうちに外に出てがっくし。車のフロントガラスが凍みていない。脇の雪もズボズボと長靴が埋まる。おまけに南風が吹き暖かい。残念、期待して昨日は早く床についたのにトホホ・・・。今日の凍み渡りは諦めて、寝直してしまった。いつもと同じ8時頃竹之高地に着いて、まず積雪観測。今日の積雪は220cm、気温は+3℃で晴れていて暖かさを感じる。寒暖計をよく見るとこの3日間で最低気温が-5℃を示していた。凍み渡りができたのはきっと昨日の朝だ。放射冷却によって冷やされて最高の凍み渡りの日であったのだろう。悔しいかな昨日は会社をサボれなかった。また、昨日(2/28)は不動様の「春の大祭」であったのに。重ねがさね残念だ。とりあえず石油ストーブをつけて一服。

写真№3 長岡市街地

 ストーブで暖まっていても今日はする事がなく、やっぱり山に登ると決め、支度を始めた。かんじきと飲み物を用意して、不動様にお参りすると、一本杉の方向から誰かがスノーシューで降りてきた跡があった。その跡を辿って不動様の脇の杉林から大峰山を目指した。ここが不動様から約45°の急斜面で100mの高低差を一気に登る難所である。年寄りにはきつい。途中で村の中ほどからの農道沿いに歩けば良かったなと反省するが、登り始めてしまったので戻ることができずに、休み休み杉の木の間を登ると一気に視界が広がり、眩しくなって杉林を抜けた。かんじきをここで履き、この先は毎年の山歩きと同じコースになる。南風が吹き暖かく汗も滲んできたのでゆっくりと周りを見ながら歩く。ネコヤナギの花(?)が咲いていた。目当てのマンサクはつぼみが膨らんでいるが花は開いていなかった。あと1週間ぐらいで開き始めそうだった。遠くで「アオゲラ」か「コゲラ」が木をつつく音が聞こえ、近くでは小鳥のさえずりが聞こえてくる。山も春に向かっていると実感する。

写真№4 下が竹之高地、上が枡形山

 かんじきはあまり潜らず楽に足が進み、「本城」の上に来て昔懐かしいところについた。急斜面が50mくらいでその下は広く平らな場所がある。小中学生の頃はここで「ぼぼぜいろ」に乗り滑って遊んだ覚えがある。「ぼぼぜいろ」に乗り、荒縄を手綱のように持って滑る。凍み渡りで急坂を滑ってもそうスピードは出ず、雪のデコボコがあっても藁がクッションとなるので硬い雪でも衝撃がない。ここはジャンプできる場所もあって、何回も登っては滑り降りるを楽しんだものだ。

 「ぼぼぜいろ」とは「ぼぼ」=人形・幼児、「せいろ」=ソリである。稲わらを5束をすぐり、穂先から30cm弱のところを荒縄で縛り、手前に折り返してもう一回荒縄で締めて縛る。その形が人形(幼児)に似ているから「ぼぼぜいろ」と呼ばれるようになった(小生の私見)。

 大峰山の頂上からは遠くの山々の眺望が良く、越後三山、湯沢の山、米山から北側に弥彦山・角田山まで一望できる。またその中間には左側(南)に小千谷市から長岡市街地、右側には見附まで見え、真ん中に信濃川がゆったりと流れている。反対を向けば南から白く雪化粧した猿倉岳、枡形山、鋸山が連なっている。竹之高地ではここが一番見晴らしがいいところだと思う。平地では長岡と見附の境あたりまで雪で白く見え、見附から北側は茶色い平野となっている。南側はまだ白く冬景色である。腰を下ろして何もかも忘れて眺めていた。時間が過ぎはたと我に返り、山を降りた。往復3時間、10,000歩、7kmであった。心地よい疲れが残るが、ゆっくりと歩いたのが良かったのか、筋肉痛はない。次回は「ぼぼぜいろ」とは行かないが空の肥やし袋を持って登ろうかと思う。

 

2023年3月1日

ふきのとう 2023 初物 

2023-02-26 積雪235cm

 時々雪が降る中、昨日の「百八灯」の後片付けをして、今回の百八灯の反省会をして次回(来年)もやろうと話が弾んだ。百八灯は寒かった。来年はドラム缶を加工して、薪を焚いて暖を取れるようにして・・・。昨年切り倒した雑木が山にあるのでこれを夏のあいだに集めておこう。

 竹之高地では昔からの言い伝えで、不動様「春の大祭」2月28日の天気が悪いと春が来るのが遅いとされている。天気予報では明日の月曜日から暖かく、春の大祭の日も天気が良さそうなので雪解けが順調に進み、3月には春が訪れそうだ。

 昨日からの新雪20cmを払い除けて今日は竹之高地を下りた。

 

2023-02-25 積雪225cm

 朝の竹之高地は昨夜からの雪が降り止まずだったが、春の暖かく明るい雲の色で安心して夕方の「百八灯」ができると思い、午前中に雪上散歩に出かけた。

 本当の目的は春の初物「ホーキント」(ふきのとう)を採って不動様に奉納するのが目的で山に入った。隣で除雪している元住人に挨拶したらまだ早いと言われたが、先回山の養鯉池を見に行った際に崖の地肌が見えていたので出ていると確信して出かけた。水曜日(2/22)からの雪が20cm以上もあり長靴はズボズボと潜ったのでかんじきを履いて雪上を一歩一歩山道づたいに登った。雪が降り続き山の峰は見えずで一瞬降やんだ時にカメラを取り出して、先回見えていた地肌が隠れて、真白く雪化粧した山の写真を撮ろうとしたが、カメラの電池がなく1枚も撮影できなかった。(点検してない、予備も忘れた)。ここで一服。 山肌が見えない。本当にふきのとうが採れるのだろうか?と思いつつ歩き始める。養鯉池の雪解けの様子を確認して、ふきのとうを探し始めた。先回見えていた地肌は新雪が20cmも積もりふきのとうは全く見えなかった。それでもと毎年早くから採れる場所(竹之高地で最も早く芽吹く場所)に行き、雪を払い除けたら、思わず「いましたー」(喜)。1個小さなふきのとうが見つかった。その周りの雪をどけて見ると少しずつ現れてきた。喜び、場所を広げているうちに雪の下のカヤに乗ってしまい、3mほど滑り落ちてしまった。ふきのとうに気を取られて足元の確認がおろそかになっていた(アブネー、アブネー・・・)。ちょっと大きめのふきのとうを選び採り、これなら不動様に奉納できると思い、帰路に着く。社務所前につくと、昼からの準備スタッフが3人ほどいた。まず不動様分を取り出し、残りは皆に自慢して分けた。ふきのとうをゴミ取りして、不動様に奉納した。今年の初物ですと報告し、今年も山に入り山菜採りをします、事故の無いようご加護くださいと祈った。

 午後からは百八灯の準備をして、夕方は行列に参加して、夜8時頃竹之高地をあとにした。

 (上)写真 2023.02.25 「ホーキント」今年の初物

 (中3枚)写真 2023.02.25 「百八灯」雪穴開け作業

 (下)2023.02.25 19:10頃撮影 「百八灯」開祖の碑の前でスタッフの記念撮影

 

 

 

 来週からはいよいよ3月になる。嬉し楽しい春が来る。除雪に明け暮れた日々とサヨナラして、早春の山を凍み渡りし、雪景色の山々を眺望し、ふきのとうを探し、カタクリを見つける季節となった。だんだんとここに投稿する回数が減ってきます。ご容赦を・・・。

 

 

 

 

2023年2月26日

明日(2/25)は百八灯

2023-02-24 積雪220cm

 朝小屋の寒暖計が+3℃を表示して、今日も朝から暖かい一日であった。

 結局会社をサボり今日も竹之高地に来ている小生である。明日の百八灯に間に合わせようと朝から「かまくら」作りに精を出す。小屋前から道路に向かって昨日はトンネルを2m掘り進んだところで力尽きた。今日はその先3mを掘り進めば道路まで貫通するはずと頑張る。雪のトンネル掘りは50年ぶり、若かりし頃は膝をついてスコップで硬い雪をつついて少しずつ掘り進んだが、年寄りにはキツく、だんだんと穴が大きくなり、腰を曲げて入れるような穴となってしまった。お昼前に貫通しひと喜び。午後からトンネルの中程を広げ、腰掛けられるように雪で段を付けた。ほぼ完成(自画自賛)。明日皆に見てもらって手直しして、小屋側を雪で塞いで完成となる。昔も排雪できる方から掘り、最後は雪で塞ぐ方法でのトンネルを作った。自宅に帰りこの文章を打ち込んでいる時は肩が痛くつくづく年齢を感じた。

 (上)写真は2023.02.24 13:30頃 撮影 小屋前から道路に貫通したトンネル「かまくら」手前は排出のため高さ120cmにもなった。奥の道路側は90cm以下にし、完成時は入り口となる。

 明日の百八灯に向けて社務所の周りの除雪が行われた。社務所半地下のシャッターから出入りができるように、3m以上ある雪を1日で除雪した。さすがプロである。夕方もうやだと若い作業員が言って、ちょっと休んだところに小生が写真を撮りに行った。お疲れ様でした。

(下)写真は2023.02.24 13:40頃 撮影 3m以上もあった雪を除雪中、社務所半地下のシャッター前でまだ1mはある。

 

山歩き

 昼から不動社の手伝いの人と「凍み渡り」に行く話をした。3月初旬の天候条件の揃った日とし、初心者ばかりなので近い「桜平」にしようと決めた。小生は今まで1人で山歩きをしてきた。今回は初めて人を案内することとなった。案内に小生一人だと心もとないので、元住人で山歩きをしている人に声をかけたら「ぜひ参加したい」との返事がもらえた。こころ強い限りです。これから春の山歩きをして、色々と見て感じたいとの要望があるので、小生も楽しみながら案内をして、参加者に喜んでもらい、交流を深めていきたいと思う。

 

 

2023年2月24日

竹之高地の昔

竹之高地のなりたちを考察
 竹之高地は400年前の戦国時代の落人が移り住んだ隠れ里とされている。周囲を山に囲まれて、他から人を寄せ付けない地形であったからここに根を下ろしたのだろうと推測する。
 戦国の落人の武将が5人の家来を連れて探したこの外界から遮断された隠れ里に住み着いた。武将と家来だけではなくその家族も含めて総勢10人はいたと思う。うっそうとした木々を切り倒して家を建てて、斜面を削り畑を作り、水のある所には水田を作り、自然の動植物を生きるための食料としたと思う。自給自足の生活で何とか生き延び、冬は豪雪の中でじっと耐え忍んで、子孫を残して来た。平らな土地が少なく山の形に添った細長い段々田んぼが多い。畳一枚の小さな田もあった。昭和の時代まで開墾は続いた。
 時代は過ぎ、いつのころからか隠れ里の意識が薄れて、南側は高龍神社の山側から蓬平・濁沢へ、東は萱峠から山古志村種須原へ、北は南蛮峠から柿町への山道を作り、物資を運び人の往来ができ、周囲の村と交流が始まった。
 昭和30年ころまで、長岡に行くには、南蛮峠から柿町に行くのが一番近かったという。小生の母親は長岡からの帰りが遅くなって暗くなり、雨が降ってきたので「割れ石」に一晩泊まったと言う話を聞かせてくれた。
 昭和30年ころには60軒、300人が暮らす集落となった。人口は増えていったが若者の働く場所もなく徐々に町に働き場を求めて村を出てい行くようになった。昭和40年ころ車の通れる道路が開通した。車が竹之高地に入ってきて利便性が良くなり、一家での引っ越しが始まり家と住民が加速的に少なくなった。中越地震前に10軒17人ほどに減り、地震後は住民が1人となった。
 地震後に道路が拡幅され、長岡駅から15km、車で30分ほどで来られるようになった。冬も除雪されいつでも不動社社務所まで入れる。ただし「落人の里」である竹之高地はおいどまりの集落であり、集落を過ぎればいきなり山道となる。夏でも山越しは危険で、雪が降れば当然通行止めとなる。登ってきた道路を引き返して帰るしかない。

 竹之高地のなりたちの詳細については 原刀利松先生著「たけんかうちの話」をご購入下さい。社務所においてあります。

 

 写真は昭和55年(1980年)撮影の 航空写真を引用 

 赤いトタン屋根が目立つ、家屋は33軒はあったと思う。右上に杉の木に囲まれた旧不動様社殿(赤い屋根)が見える。

 

 

2023年2月24日

道路両側の雪の壁がなくなった

2023-02-23 積雪240cm

 今朝の新雪は35cmであった。小屋の周りと小屋前の新雪を除雪をして一服。

 今日は竹山館(ちくざんかん)の自然落下で落ちた雪の除雪が入った。玄関まで除雪をすると言って、朝からバックホーで6mもある雪の山にチャレンジして、なかなか重機でも大変な量で今日は終わらなかった。明日もう一日来て終わらせると言っていた。隣の人もスコップで玄関までの道のりを除雪していた。もうひとり、村の中ほどの小高い家「徳左衛門」の人も来て今日から除雪を始めると言って入っていった。 明後日(2/25)の百八灯のため、開祖の牌の除雪と不動社社務所前の除雪も昨日までに終わっていた。晴れて暖かく、春がすぐそこまで来ているみたいで皆さん頑張っている竹之高地である。

(上)写真は2023.02.23 14:10頃 撮影 社務所前の駐車スペースから猿倉岳が綺麗に眺望できた。

(中)写真は2023.02.23 13:10頃 撮影 隣の人が駐車スペースを確保しようと除雪している。

 竹之高地までの道路は両側の2m以上の雪の壁が崩され、排出されていた。道路脇の斜面の雪も10mアームのバックホーで崩されて排出されており、車道への雪崩の危険がほとんどなくなった。おおまがりの難所も広く除雪されていて車がすれ違いできる幅まで確保され、車での通行がしやすくなった。

 

(下)写真は15:30頃 撮影 おおまがりの除雪状況、十分な広さが確保され、雪の壁も1mまで下げられ、車からの視界が広がった。

 小生は「かまくら」を作ってみようと小屋前から道路に向かってトンネルを掘り出した。雪は固くなかなか掘り進まず、夕方までかかって2mしか進まなかった。明日は会社を休んで頑張ってにようと思って、竹之高地を下りた。(遊びのために会社を休んで良いのかな?)

 2023.02.25 字句の修正

 

 

 

 

2023年2月23日